AKIRA TANNO(1925~2015)
作品


略歴
1925(大正14)年8月8日、東京に生まれる。1947(昭和22)年、大内写真工房に入社、大内英吾のもとで広告写真にとりくむ。日本大学専門部芸術科で写真を専攻、1949年卒業。1951年に独立、フリーランスとなる。1957年、写真評論家・福島辰夫による企画、第一回「10人の眼」展に〈サーカス〉連作を出品。同会のメンバーの川田喜久治、佐藤明、東松照明、奈良原一高、細江英公と1959年、VIVOを結成した。これはマグナム・フオトと同様に写真家自身が自分たちの写真作品の使用をコントロールできるセルフ・エージェントにしようとしたものである。(1961年に解散)。初めての写真集として『ポリシヨイ劇場』(音楽之友社、1958年)を刊行するなど、舞台写真から身体表現へと関心を広げ、その他の写真集に70年代から長くとりくんだ主題による『壬生狂言』(イメージハウス、1990年)、『壬生狂言』(光陽出版社、1992年)、『日本で演じた世界のバレエ 1952-1972』(イメージハウス、1995年)などがある。また炭鉱や基地問題など社会的主題の取材にも取り組み、日本リアリズム写真集団にも参加、1989年から2001年まで理事長を務めた。1998年、第48回日本写真協会賞功労賞を受賞。死去の翌月、初期作品による写真集『昭和曲馬団』 (禅フォトギャラリー、2015年)が刊行され、 刊行記念の個展(東京・禅フォトギャラリー) が開催されるなど、晩年その仕事への再評価が始まっていた。
また日本写真家協会の著作権委員として著作権法の改正について70年、著作権法の改正に関して、日本写真家協会を代表し、渡辺義雄と共に、第63回通常国会衆参両院の関係委員会で意見陳述した。これを機に国会の合意形成が進み、著作権法が改正され、写真の著作権の保護期間が没後50年に延長された。また、1971年の日本写真著作権協会の創設に尽力、写真の著作権保護期間延長に関する活動に長く携わった。その功績に対し、1999年、著作権制度百年記念功労者として文部大臣表彰を受けた。また2000年代に入り、2003年には新たに創設された日本写真家ユニオンの初代理事長に就任、また個人の肖像権保護意識が高まる中、『撮る自由-肖像権の霧を晴らす』(本の泉社、2009年) を著すなど、社会的存在としての写真家の権利と自由について発言を続けた。2015年8月5日急性肺炎のため八王子市内の病院で死去した。享年89歳。
主な個展
1954 | 「二人のバレリーナ」 月光ギャラリー、東京 |
1975 | 「壬生狂言」 キャノンサロン、東京 |
2009 | 「丹野章の戦後」 キャノンギャラリーS、東京 |
2013 | 「地底のヒーロー」キャノンギャラリー、銀座、札幌、福岡 |
2015 | 「昭和曲馬団」 禅フォトギャラリー、東京 |
2016 | 「丹野 章 回顧展 -世界のバレエ-」 ギャラリー新居東京 |
2024 | 「初期作品「サーカス」「地底のヒーローたち」より」 The Third Gallery Aya 、大阪 |
主なグループ展
1952-54 | 「青年フォト展」松島ギャラリー、東京 |
1957 | 第一回「10人の眼」小西六フォトギャラリー、東京 |
1962 | 「”NON”写真展」銀座松屋、東京 |
1978 | 「VIVO」サンタバーバラ美術館、アメリカ |
1991 | 「日本写真の転換-1960年代の表現」東京都写真美術館 |
2024 | 「写楽祭!-日本の写真集1950~70年代」富士フィルムフォトサロン東京、東京 |
主な著作
『ボリショイ劇場』(音楽之友社、1958年)
『壬生狂言−丹野章写真集』(光陽出版社、1992年)
『日本で演じた世界のバレエ』(イメージハウス、1995年)
『撮る自由』(本の泉社、2009年)
『昭和曲馬団』(禅フォトギャラリー、2015年)